「赦し」と「許し」

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ドールマンの翻訳も、いよいよ最後のチャプターに突入です。


チャプターのタイトルが、「Inside Forgiveness」で。


この機会に、以前から少し曖昧に感じていたことを

調べてみることにしました。


それは、日本語の「赦し」と「許し」の違いについてです。


この牧師さんのお話が、面白かったです。



「赦し」であって「許し」ではない(山形牧師の部屋)



「赦す」は英語で言うと、FORGIVE(赦免する)

「許す」は、PERMIT(許可する)になるのだそうです。


・・・ということで、最後のチャプターの「Forgiveness」もまた、

「赦し」。。。なんですね。


WMの「ハートの美徳の実践」の日本語版のEブックでは、

「Forgiveness」は「寛容」と訳されていますが、

私の場合は、その言葉だとピンとこないので、

個人的に訳す時は、違う言葉を使ったりしていました。


でもこういうのもやっぱり、、、

そこに「私的フィルター」をかけたものですし、

何が正しいとか、何が間違っているといった方向に話を

持っていってしまうと、本末転倒になるのです。


「言葉」というものは、単なる象徴。単なるシンボル。単なるメタファー。


なのですから。


歴史の中、、、そうやって「表面上の違い」にこだわるあまり、

そこにいろんな派閥が生まれて、、、

そして、争いが生まれてしまったのですから。




本当の「赦し」を実際に経験すれば、それがどういった「感覚」

であるのかは、解るだろうと思います。


それを体験して、実感すれば。。。


それは、自分でどうこうしようとするものではなく、

自然と「起こるもの」なんです。


それは、必然のタイミングで起こるのです。。。

必ずしも、それが今生かどうかは分かりませんが。


「赦し」が起こる時は必ず、閉じていたハートチャクラが開きます。

そして、自然と涙が溢れてくることが多いです。


浄化の涙。。。ですね。




自分で訳す翻訳は、最後のチャプターまで辿りつきましたが、、、

英会話の先生にチェックしてもらっているところは、

まだ、やっと「チャプター8」です。


時々そこに、「ディスカッション」が入るので、、、

なかなか先に進めなくなることが多いのですけれども(笑)


でもなんだか、、、そういう時間がとても貴重に思える

今日この頃です。



ジェームズは、登場人物同士の会話にしても、

ちょっとおかしな言い回しを使ったりしているので、

そういった部分について、先生によく質問したりします。


私が質問する箇所には大抵、先生からこういう返事が返ってきます。


「こういった言い回しは、普段の会話の中では、もう滅多に使わないよ」


・・・と。


つまりそれは、かなり古典的な文章表現であり、

「会話」であるのに、現代の日常会話ではほとんど使われないような

文体で書かれているようで。。。



ジェームズがこういった言葉遣いをわざと採用しているのも、

かなり意図的なのだろうね。。。と。


そこもまた、先生と私の、一致している意見だったりします。


つまり、ジェームズはそこに、「ここではないどこか」とか

「異世界」という匂いを漂わせたかったのだろう。。。と。。。



なぜなら、ドールマンもまた、、、

「神話」だからです。



例えば、「スター・ウォーズ」とか「ロード・オブ・ザ・リング」とか。

ああいった世界観というか、ああいった物語に漂うような

雰囲気というか。


そういったものを、このドールマンからも感じる。。。と、

先生はそう言っていました。



なので、もしこのドールマンを、原作に忠実に訳すとしたら、、、

まるで、時代劇のようなセリフにしないといけないかもしれません。


「拙者は、〇〇でござる」とか、

「かたじけのうございます」とか。。。


でもそれだと、おじいちゃんおばあちゃんには受けるかもですが、

子供たち世代にはどうなんだろう???と。。。


それ以前に、、、

それだと私自身に、受けなくなりそう(苦笑)



今頃になって、そういうことが少し気になってきたので、

どういう形で翻訳するのがベストだと思うか、

先生に聞いてみました。


すると先生は、、、

「スター・ウォーズ」とか「ロード・オブ・ザ・リング」って、

映画のセリフは、日本語でどういう風に訳されてるの?と。。。


そんな風に言ってました。



娘は、「ロード・オブ・ザ・リング」の映画が大好きで、

原作を全巻制覇しようとしたのですが、

一巻を読んだだけで、もうそれ以上読むのはやめてしまいました。


どうして?と聞いたら、サムの話し方とかキャラが、

映画とあまりに違っていたので、読む気がしなくなったのだとか。



なんだか、修正も検討にいれて、いろいろ考えてはみたけれども、、、

結局、最初の直観に従う。。。というか、、、

自然と降りてきたイメージを、

そのまま使っていくのがいいような気がする。。。と。


そんな結論に至りました。


どんなにあがいたとしても、、、

そこには絶対に、私のフィルターがかかってしまうものですし。。。


もう、、、それはそれだな。。。と。




もし、ジェームズが目の前にいて、、、

訳す時に、その作者である彼の持っているイメージや世界観を

細かく細かく伝えてくれたとしたら、、、


訳すのも、すごくラクだっただろうな。。。と思います。


でも、絶対に絶対に絶対に、それをしないのがジェームズ。

そう思う。。。


なぜなら、ジェームズの意図は、、、

イメージを、たったひとつに限定することではないだろうから。。。



日本語化されるのが待ちきれなくて、

自分で訳し始めてしまったドールマンですが。。。


結果、日本語のドールマンは、ふたつのヴァージョンが

存在することになってしまった。



たまに思うこともありました。


どうして私は、こんなことをしているのだろう?

本当に、やる必要はあったのかしら?


・・・と。


でもそれが、自分の「マインド」からの声だということも、

解っていました。



ドールマンを、自力で読みたくて読みたくてしかたない衝動。。。

自分でもよく解らないけど、訳さないではいられない衝動。。。


ただただ、この衝動に駆られてやってきた。。。

ここまで。



でも、その翻訳を読んでくれている人がいたりとか、、、

ネイティヴの人に訳文をチェックしてもらえる機会を得られたりとか。。。



そこにはやっぱり、、、

「必然」を感じたりもしているのでした。。。



あぁ。。。あと少しだなぁ。。。





IRIDESCENCE

千葉県松戸市で小さなヒーリングサロンを開いております

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