アッシャー界



これまで、マルクート、イエソド、ホッド、ネッツァーという、

4つのセフィロト(セフィラの複数形)について書いてきましたが、

生命の樹の下のほうにある、この四つのセフィラで創られている三角形の部分は、

伝統的に、「アッシャー界」と呼ばれています。


生命の樹も、四つのエレメントに分割することができるのですが、

この下の部分にある三角形、アッシャー界は、

エレメントでいうと「土」になります。


そしてここは、「物質と行動」の世界として知られているようです。



私のことを例にとると、、、


マルクート=ウイングメーカー・家族

イエソド=Lyrica

ホッド=ブログを書くこと

ネッツァー=歌うこと・踊ること


・・・となるわけですが、私の中のこういった部分はみんな、

このアッシャー界、つまり物質・行動の世界という部分に

属しているということですね。


また、生命の樹を一人の人間として見た場合、

アッシャー界は、その人の「肉体」に相当する部分となります。


ですのでここはとっても、地上的なレベルなんですね。



ここでも言葉の表現がとても難しいのですが、、、

アッシャー界は、物質的なこと、地上的なことを

意識の中心に置いて行動する部分。。。


・・・とでも表現すればいいのでしょうか。。。



私にとってはここは、足元みたいな感じというか。。。

ここを使って、大地を踏みしめているような感じですね。。。


このあたりが軸となり、今回の地上での人生が

展開している。。。みたいな。


ここは、結果でもあり、、、基盤でもあり。。。

スタート地点でもあり。。。



ただ、ここはまだ、、、


「ウイングメーカーが好き」「家族が大事」

「ブログを書くことは自分に向いてる」

「歌うこと・踊ることは気持ちいい」


・・・と、すべて「自分」を中心に置いて、

物事を考えている意識でもあるんですね。



このアッシャー界の三角形の中に、

イエソド、ホッド、ネッツァーで創られている小さな三角形があります。



人の意識の成長の段階として生命の樹を見た場合、、、

ここの三角形で創られる意識は、「植物意識」だと言われています。


ここでは、「自我」である「イエソド」が含まれてはいますが、

ここでのイエソドの感覚は、まだそこまで強烈に確立されていなくて、

「とりあえず自分という人がいるな」「あっちには自分じゃない人がいるな」

・・・くらいの感覚なのだと思います。


反抗期前の、無垢な子供みたいな感じですね。



植物意識の一番の目的は、「種の保存」です。


種を蒔くと芽が出てきて、そのうちに花が咲く。

花が枯れると実になり、種を残し、そしてその種はまた、

まったく同じ工程をたどり、まったく同じ花が咲かせる。


そうやって延々と、同じことを繰り返していくのですが、

そこには「変化」はありません。

・・・ということは、「進化」もありません。


この意識にとって最も大切なことは、、、

延々と繰り返されるそのサイクルを絶やさないこと。。。


種を絶やさないこと、子孫を残すこと。。。



伝統を、そのままの形でひたすら守ろうとするような

保守的な意識も、ここですね。


あとは、親や先生などの敷いたレールの上を、まったく逆らうことなく、

そのまんまで生きていく子供の意識も、植物意識です。


これは一見、とても素直ないい子のように見えますが、、、

意識の成長段階としては、まだ幼い意識です。



人類全体で見るとしたら、、、

シュメール文明やエジプト文明などが興ってくる前の、母権社会というか、

女神信仰やシャーマニズムが盛んだったころというのはおそらく、

こういった植物意識が、全体の中心を占めていたのではないのかなと思います。


特に変化を望まず、深いことは何も考えず、、、

ただ先人のやることを素直に信じ、それを見習って同じようにしていく。。。


ですので、とてものんびりとした、、、

争いのない平和な世界だったと思います。


ただ平和だけど、ほとんど進歩のない世の中だっただろうとも思います。



上の図でいうと、ホッドから赤のラインでイエソドに行き、

イエソドからマゼンタのラインでネッツァーへ。

そしてネッツァーから赤のラインでマルクート、

マルクートから紫のラインでホッドへと、、、


こうして結ばれた下向きの矢印みたいな形の部分は、

「鉱物意識」と呼ばれています。


鉱物意識は、「低い植物意識」として知られています。



先ほどの「植物意識」にマルクートが加わることによって、

より、サヴァイヴァル的な意識が強くなるのでしょうね。


種の保存よりも、まずは「生き抜くこと」が一番重要になってくるのでしょう。


大事なのは、伝統よりも命そのもの。。。

今日一日、どうやって食べていくか、どうやって寝床を探すか。

生きていくための、安全確保。。。


人類の歴史でいったら、20万年前とかそこらの、、、

石器時代あたりの人々の意識でしょうか。。。



けれども、、、そんな鉱物意識で生きていたであろう石器時代の人々が、

洞窟に壁画を描いたのはなぜだったのでしょう?


その頃から、「埋葬」という習慣があったのはなぜだったのでしょう?



人はどんな時代でも常に、心の中に「聖なるものの存在」を

薄々感じ取って来ていたのだろうと思います。



なぜなら、生命の樹を見ればわかるようにそのエネルギーは、、、


樹の頂点であるケテルを通して流れ出て、

ジグザグに降りてくるだけでなく、、、


それは、中央の意識の柱を通して底辺にあるマルクートを、

いつも直接貫いているからです。。。

IRIDESCENCE

千葉県松戸市で小さなヒーリングサロンを開いております

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