アツィルト界



冠の「ケテル」、知恵の「ホクマ」、理解の「ビナー」。


この三つのセフィロトで創られる三角形の部分は、

「アツィルト界」と言われています。


「アツィルト」とは、「流出」という意味です。



ジェームズは「それ」を「ファースト・ソース」と呼び、

カバラでは「アイン」、そしてダスカロスはそれを、

「絶対無限の存在」と呼んでいましたが、、、


「それ」自体は、生命の樹には現れていません。

「それ」は、こことはまったく違うところにあるのです。


「それ」は、「ケテル」という点として、、、

生命の樹の法則が働いている、

この「相対の世界」に顕現します。


ケテルから「それ」は、「溢れ出してくる」感じです。


だからそこは、「流出界」。。。

アツィルト界。。。


流出した「それ」は、生命の樹のすべてのセフィラ、

すべての小径に浸透していて。。。


なので、「それ」ではないものは、

どこにもないんですね。



アツィルト界は、伝統的には「神性」の世界とされ、

エレメントは「火」です。

色は「白」(透明かも?)


意識でいうと、ここは「神の意識」であると言われています。



私自身が見た「それ」は、、、

「カオス」だったと、そう言えるのかもしれません。


「すべて」がそこにありましたが、

そこには何もありませんでした。


一瞬であり、永遠であるもの。。。

・・・というより、時間なんてものは、そもそもなくて。


「それ」は、人間の言葉では、とても表現しきれませんが、、、

そこには、無限の「可能性」がありました。


今まで起こってきたこと、起こってこなかったこと、

これから起こるかもしれないこと、

起こらないかもしれないこと。


すべての次元で表現されること。

すべての人や存在の意識のすべて。。。


例えばある人が、「個」として発生し、

その源に溶け去っていくまでに経験するすべての人生。


何度も何度も生まれ変わる中で、

考えたり、感じたりしたことのすべて。


それは、その人だけでなく、

存在する可能性のある、すべての人のすべて。。。


そういったものがすべて、、、

とにかく、何もかもが、、、


最初からそこに、もう既にあるのです。


たとえば、、、

私がこうしてブログのこの記事を書くということも、、、

あなたがこのブログを読んで、たった今考えていることも。



そして、、、その「すべて」が、、、

その「カオス」が、私達自身なのです。


それは、私であり、あなたであり、あの人であり、あれであり。


それが、私たちすべての、「正体」です。


ここにいる、誰一人として、それではない人はいません。

何一つとして、それではないものはありません。


だから、「分からないもの」は何もなくなります。


なぜならすべてが、「自分」なのですから。。。



でもそれは、、、完全に「無」なのです。

そしてそこには、、、「すべて」があるのです。


これが、本当の「神」です。



ウイングメーカーのネルダインタビューに出てくる

アヌンナキのアヌは、その神ではありません。


アヌは、この相対の世界に顕現した、

私たちと全く同じ、「ひとつの可能性の表現」です。


全体の中の、ひとつのパーツの表現を担っている、、、

という意味では、彼も、私たちと全く変わりません。


アヌが本当に実在したかどうかは、

分かりませんが。



一神教であっても、多神教であっても、、、

何を信じていても、信じていなくても。


そこにいる神は、結局は全部、「自分自身」です。



「それ」は、アカシックのようなものではありません。


あんなに、「固定」されてはいません。


アカシックは単に、、、

表現されたあるひとつの可能性の残像でしかありません。


そして、アカシックもまた、、、

「それ」の一部なのです。



アカシックよりも、もっともっとカオスであるそれは、、、

カオスであり、、、静寂です。




カオスの中に最初からあった無限の可能性の中の何を

この相対の世界に顕現させるかは、、、


私たち「人間」。


マインドを持った私たち人間の、、、

「自由意思」に任されている。


私は、そんな風に感じています。



テクノロジーが発達して、遠い宇宙のことを理解するにつれ、

私たちはそこに、「宇宙人」の存在を想像するようになったけど。。。


そもそも、私たち人間が想像しなかったら、、、

宇宙人だって存在できなかっただろうなと。


私は、そう思っています。



そんな宇宙人であっても、天使であっても、

妖精であっても、精霊であっても。。。


単なるエネルギーであっても、素粒子であっても。


それも全部、「自分」です。



何度書いても、伝えきれませんし、、、

何度話しても、ちゃんと話せない。


これについては。。。


そして、自分が書いたものを読み返すたびに思います。


「もっとうまい表現はできないものか・・・」と。。。



でも、、、それも、到底無理なこと。

なぜならそれは、人間のマインドの領域。

人間の言葉の領域を、とうに超えているからです。



伝えきれないそれ。。。

語れないそれ。。。



私のイエソド、私のエゴは、、、

「頭のおかしい人だと思われるだろうなぁ。。。」と。


これを語るとき、いつもそのことを恐れています。



昔、ダアートに触れた時、、、

私は一瞬、それを垣間見ましたが、、、

今は「人間という衣」を纏っていますので、

日々、常にこの意識で生きているわけではありません。


また、、、もしこの意識を保つことが可能であったとしても私は、、、

この意識で人間を続けるのは、、、到底無理だろうなとも思います。


多分、、、精神が崩壊する。

人間のマインドにはきっと、耐えられないでしょう。。。



だからこうやって、

ある程度、記憶を失っている状態というのは、、、

ある意味では、「恩恵」なのだとも思います。

IRIDESCENCE

千葉県松戸市で小さなヒーリングサロンを開いております

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