本物の表現

※画像はWingMakers.LLCより



この言葉に帰結しますー

私たちは頭ではなく、ハートを通じて神性に近づく。


人の知性は、膨大な情報と知識を包含することができます。

私たちは預言者や学者のあらゆる言葉を学ぶことができますが、

六つのハートの美徳を表現しなければ、

頭は言葉や概念、理知的な虚勢で満たされるだけです。


私たちの行動は卑しい性質に鎖で繋がれたままであり、

深遠な洞察を書き、話すその一方で、私たちの感情のエネルギーは揺れ動いたままです。

瞬間の表現は不確かで、ハートの知性の声に導かれていないのです。


六つのハートの美徳の表現には芸術性が暗に含まれていますが、

芸術性が表現される前に美徳が感情を伴う

本物(ジェヌイン)の表現である必要性があります。


~リリカス・マテリアル『ハートの美徳の実践』より~



若い頃は、奉仕の精神とか利他の心は、偽善だと思っていました。

でも、子供を持った時、自分以外の人の喜びを本当に自分の喜びのように感じ、

自分以外の人の苦しみが、本当に自分の苦しみのように感じるという、、、

その「感覚」を知りました。


これは、単なる共感とか同情とは違うのです。

子供達の感情が、まるで自分の感情そのものなのです。


ファースト・ソースの視点に意識を移せば、その感覚を感じることは簡単です。

でも、人間としてのレベルの感覚、つまりマインド・レベルでそれを

「実感」として感じること。

それは到底不可能だと、ずっとそう思ってきていた私は、

子供を持つことで、それもまた可能であるのだということを知ったのでした。


ですから、子供達に感じることのできるその感覚を、他の人達にも感じることの

出来る自分になりたいと。。。そう願い続けてはきたのですが、、、

それは、相当難しいことであるのだということを実感しましたし、

今ですら、まだまだその領域に、完全に達することは出来ません(苦笑)


でも、、、

それが出来たらいいなぁ。。。と、本当に思っています。


それが出来たら、、、

本当に幸せだろうなぁ。。。と、そう思うからです。



チベット仏教では、「慈悲の心」を大切にしているのですが、

ラマ僧たちは、慈悲の心をよく「母が子を思う気持ち」に喩えて説明します。


昔、チベットのお坊さんに直接訊ねてみたことがありました。


「慈悲心の大切さは、重々理解しているし、

そういった心が持てる自分になりたいと、ずっと思ってきました。

 でもまだ、演技してしまう時もある。

心の底では違うことを考えているのに、うわべだけを繕ってしまう時が。

 そういうのは、どうしたらいいのでしょうか?」


・・・と。


そのチベット僧の方は、こうおっしゃってくれました。


「誰でも最初からうまくは出来ません。例えばお相撲さんがたくさん訓練して

 立派なお相撲さんになるように、心もまた、訓練していく必要があるのです。

 だから、最初は心の底から出来なくても、いつも努力していれば、いつしかそれが、

 自然なふるまいとなっていくのです。」


あの時のチベット僧から流れてくるエネルギーは、とても心地よかった。。。


ジェームズがいう、「アート・オブ・ジェヌイン」。。。

「本物」の表現。。。


それは本当に、とてもとても難しいことなのですけれども、、、

それでもやりたいと思うのは、、、

子供達のおかげで実感することのできた感覚。。。


他者のことを、本当に自分自身のことのように感じるあの感覚。。。


その心地よさ、幸せ感を、しみじみ実感しているからです。。。

IRIDESCENCE

千葉県松戸市で小さなヒーリングサロンを開いております

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